フィクションを哲学する

くだらなくてもいいじゃない。

「Games Telling stories? -A brief note on games and narratives」メモ

ビデオゲーム研究では有名なユール*1が書いた論文。「ゲームは物語なのか?」「ゲームを物語としてみるべきか?」といった問いに対し、具体的に概念を当てはめたり、他メディアの物語と比較・検討している。とはいえ、ユールがイントロに述べているように、これらの問いの答えは「物語」をどう定義するかによって変わってしまう*2。ユール自身は物語論(具体的にはジュネットとチャットマン)の枠組みを用いているが、類似点よりも相違点が強調されている。要はビデオゲームは少なくとも(物語論の)物語の枠組みでは説明できないということだと思う。

 

以下、詳細


*1:『Half-Real』書いた人といえばわかるかもしれない。

*2:この手の研究に取り組まないとわからないことだけど、一般的に「物語」は実際かなり雑に使われている。「物語」とか「ストーリー」とかいう言葉が出てきたら身構えるくらいの気持ちでいた方がいい。

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「In Defense of Cutscenes」 メモ

カットシー*1が話題に上がった際に結構引き合いに出される(印象がある)論文。ただ、議論の中身について触れられることはあまりない気がする(なので読んでみた)。

タイトルは「カットシーンを擁護するために」となっているが、メインは行き過ぎたルドロジー的視点を批判し、物語要素を含んだコンピューターゲーム*2の体験全体を考えるべきだという主張にあると思う。

以下、詳細。

*1:カットシーン」はいわゆるゲームのムービーのこと。

*2:このブログでは電子的なゲームを指すのに「ビデオゲーム」という用語を用いているが、ここでは論文の表現に則り「コンピューターゲーム」と表記する。

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「Simulation versus narrative: Introduction to ludology」メモ

「シミュレーションvs物語」とあるように、シミュレーション*1と物語を比較して、「ビデオゲームは物語ではなくシミュレーションに基づいている」と主張している論文*2。ただ、結構論点が散らばっていたり、規範的な主張が混ざっていたりと結構注意して読む必要がある。

以下、この論文のポイント

*1:ここでいうシミュレーションて何という話は後述。

*2:ここではビデオゲーム=シミュレーションみたいな強い主張は行っていない。筆者もビデオゲームの中に物語の要素が存在していることは認めている。どちらかというと、ビデオゲームを物語として捉える視点の方に問題を感じているように思える。

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このブログについて

このブログについて

 このブログは現代のポップカルチャーのフィクション作品*1を哲学的に考えていこう的な感じ。

フィクションを哲学するとは

 フィクション作品の持つ性質(あるいは謎)について、理論立てて理解を深めていこうということ。というか、そういう学問領域は既にあって、例えば、フィクションの哲学*2物語論、個別のメディア研究(マンガならマンガ研究、ゲームならゲーム研究)がそれにあたる。基本的にはそれらの学問をベースに話を進める予定。

自己紹介

  • 所属はどっかの人文系の博士課程。専門はビデオゲーム *3だが、アニメやマンガなどのフィクション作品(の中でもオタク系?)一般に興味がある。
  • ブログをはじめたのは博士課程に入って何らかの情報発信や自分の考えをまとめる必要性を感じたため。正直何から手をつけたらいいのかわからない状態。
  • 好きなゲームはRPG系(特にゼノシリーズ)、SRPG系(FE、戦ヴァル)、対戦系(スプラスマブラポケユナ*4。ゲームに限らずSF要素のある作品が非常に好み。
  • アイコンの左にいるのが私です。

クソアニメついて

  • クソアニメが大好き(最近は見ていない)。
  • 特に『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』は毎週5回は見ていた。
  • クソアニメを見る時の鑑賞態度は通常とは異なると思っていて、これをいつか言語化して後世に残したい。

 

*1:呼び方はサブカルチャーでもいいと思う。要はマンガ、アニメ、ゲームとかそこら辺の話。

*2:フィクションの哲学は分析哲学の一分野で、フィクションて何?みたいなことを考える学問。分析哲学て何?て人はググって。

*3:いわゆる「コンピューターゲーム」のことだが、今研究の中心地である欧米圏では「ビデオゲーム」の呼称が一般的。

*4:なんでスプラまでクソゲー化してしまったのか...。