フィクションを哲学する-限界博士のブログ-

くだらなくてもいいじゃない。

「Simulation versus narrative: Introduction to ludology」メモ

「シミュレーションvs物語」とあるように、シミュレーション*1と物語を比較して、「ビデオゲームは物語ではなくシミュレーションに基づいている」と主張している論文*2。ただ、結構論点が散らばっていたり、規範的な主張が混ざっていたりと結構注意して読む必要がある。

以下、この論文のポイント


筆者のスタンス

  • 筆者の立場はもろルドロジー*3
  • ルドロジー形式主義的な学問分野で、筆者は形式主義的なアプローチには限界があるとしている。ただ、形式主義的なアプローチは、「①物語とゲームの構造的な違いを明らかにするのに手っ取り早い」「②最初の必要なステップで、理解が進めば脱却できる」ので、今回はそのままルドロジーで通す。

この論文でのシミュレーションについて

  • 筆者はシミュレーションを表象*4(+物語*5)と対比させて説明している。
  • 通常、表象の記号は既に固定されており、その内容を変更することができない*6。それに対し、シミュレーションは記号生成機のように振る舞い、その内容を変更することができる
  • シミュレーション自体は昔から存在した(おもちゃ、非電子的ゲーム、易経んなど)。ただ、複雑なシステムをモデル化できるようになるのはコンピューターが登場してから。

シミュレーションの定義

  • ここでのシミュレーションの定義は、従来のコンピューターの理論研究を組み合わせて、コンピューターについての言及を削除したもの*7
  • シミュレーションの定義
    「シミュレーションとは(元となる)あるシステムを、そのシステムの挙動の一部を(誰かのために)保持する別のシステムを通じて、モデル化すること」
  • ここでポイントなるのは「挙動(behavior)」。シミュレーションは単に対象の(一般的には視聴覚的な)特性を保持するだけでなく、その挙動のモデルを含んでいる。

シミュレーションと物語の違い

  1. 記号の振る舞い
    物語において記号は固定されており、その内容を後から変更することはできない。シミュレーションはルール(規則)に基づき記号が生成され、入力に応じてその内容を変化させることができる。
  2. レトリック(修辞法)
    物語は結末を二者択一的に扱うが*8、二つの可能性の一方しか表現できない。また、どちらの可能性がどの程度起こりうるのかを物語は表現できない。一方で、シミュレーションは繰り返すことにより、どのような可能性が存在するのか、またその可能性がどの程度起こりうるのかを表現できる。
  3. 出来事の決定権
    物語の出来事は作者が決定している。一方で、シミュレーションは常にある程度の不確定性を持つため、何が起きるかは実行するまでわからない。とはいえ、出来事が起きる確率や法則を操作できるため、この点において決定権は作者にあるといえる。

シミュレーションが伝えるイデオロギー

  • シミュレーションは表象とは異なる方法でイデオロギー*9を伝えることができる。
  • シミュレーションはその挙動を決定する「ルール」を通して作者のイデオロギーを伝える*10
  • 例えば、『The Sims』のようなゲームで、同性同士の恋愛を可能にするようなルールを追加するor削除することで、同性愛に対するイデオロギーを伝えることができる*11

シミュレーションの4つのレベル

  1. 表象とシミュレーションの対応付けのレベル
    シミュレーションのある要素が、シミュレートする対象である物語*12のどの要素と対応するのかということ。具体的には、キャラクターの見た目(スキン)などが当てはまる。このレベルでの変更はルールの変化を伴わないが、イデオロギー的には全く異なる内容になる。
  2. 操作ルールのレベル
    操作ルールとはプレイヤーが取ることのできる行為を決定するルールのこと。この操作ルールのレベルは、この後紹介する目標ルールのレベルに関わることがある。例えば、『グランド・セフト・オートIII』では売春婦を撃ち金銭を得ることが可能であるが、これはゲームの目標ではない。売春婦を殺してもよいゲームと、目標のために殺さなければならないゲームでは、その意味は全く異なるだろう。
  3. 目標ルールのレベル
    目標ルールとはそのゲームの目標を決定するルールであり、作者はこの目標を達成するようにプレイヤーを仕向ける。作者は目標ルール(=勝利のシナリオ)を通して、望ましい行為(世界を救うとか)を主張することができる。
  4. メタルールのレベル
    メタルールとはルールをどのように変更できるかを示したルールである。ゲームの場合はMODだったり、オープンソースのゲームがあてはまる。メタルールは一見すると作者の死プレイヤーの自由を意味しているように思えるが、そうではない。メタルールはあくまで作者が定めたルールの一つであり、最終的な決定権は作者が握っている。

パイディアとルドゥスによるゲームの分類

  • この論文ではカイヨワのパイディア(paidia​​)とルドゥス(ludus)の概念で、ゲーム(シミュレーション)の更なる分析を試みている*13
  • パイディアは幼児に見られる遊びの形式(組立キット、ごっこ遊び、運動を伴う遊び)を指し、ルドゥスは社会的なルールを伴うゲーム(チェス、サッカー、ポーカー)を表している。
  • 筆者によるとパイディアにはルールがないと考えられがちだが、そうではない(例えば、ごっこ遊びはその対象になりきるというルールがある)。パイディアとルドゥスの違いは目標ルールが存在するか否かである*14。パイディアには目標ルールは存在しない。
  • ルドゥスは目標のルール(勝ちor負け)が存在する点で、物語的な二値構造を持っている。一方で、パイディアは目標をプレイヤーに委ねているので、多値的である。

 

 

 

 

 

*1:ここでいうシミュレーションて何という話は後述。

*2:ここではビデオゲーム=シミュレーションみたいな強い主張は行っていない。筆者もビデオゲームの中に物語の要素が存在していることは認めている。どちらかというと、ビデオゲームを物語として捉える視点の方に問題を感じているように思える。

*3:ルドロジーとはビデオゲームをゲーム(一定のルールを持った遊び)として考える立場のこと。ビデオゲームを物語として考えるナラトジーの立場とよく対比される。ルドロジー/ナラトジー論争はゲーム研究の界隈では有名だが、詳細は結構複雑。少なくとも「2つ派閥があって、両者がどちらが正しい見方なのかを争っていた」みたいな単純な話ではない。この手の話の詳細は日本語で読めるので、そちらを参照(ゲーム研究の手引き)。

*4:恐らく記号の振る舞いに注目して、両者を対比させているのだと思われるが、表象の定義からするとシミュレーションも表象の一部であると思われる。

*5:この論文では物語は表象の一部という扱いになっている。

*6:表象とは「あるもの」を用いて「別のもの」を表すこと。(例えば、萌え絵なら、絵という画面上に写った画像を用いて、特定のキャラクターを表象している。)この「あるもの」は記号と呼ばれることが多い。この論文でも記号はそのような意味で使われている。

*7:ここでのシミュレーションはコンピューター以外のものも含む。

*8:例えば、戦争を扱った物語があったとしたら、そのエンディングは勝つか負けるかのどちらかになるだろう。

*9:おそらく思想みたいな強い意味ではなく、その人の考えくらいのニュアンス。

*10:ここでのルールは後に紹介する操作ルールのことだと思われる。

*11:筆者はさらに、同性同士の恋愛に報酬を与えるルールを追加することで、同性愛をプレイヤーに促すことができるだろうと論じている。

*12:正確にはフィクションや現実の物事だと思われる。

*13:カイヨワのアレア、アゴン、イリンクス、ミミクリの方の分類は、排他的でないため採用しなかったらしい。

*14:この解釈は結構特殊。