フィクションを哲学する

くだらなくてもいいじゃない。

「アニメーションに見られる 時間の非整合性について」反省会

0. はじめに

美学会で僕がした発表の紹介と反省会

スライド:https://drive.google.com/file/d/1gBr3uGFamesHXdtqixPk5pGpQKgzFPgf/view

原稿:https://drive.google.com/file/d/1XqEHEC260llH14aHI8T5dYZrgHqzKP3I/view

 

1. 発表で言いたかったこと

 発表で直接問題としていたことは非整合的な内容がある種両立していたことだが、今思えば気になっていたのは、映像が表している時間と物語内容の時間が一致していないことそのものだったのかもしれない*1。例えば、スローモーションとディオの時間停止は明らかに違うが、物語言説と物語内容の関係ではその違いは説明できない。時間表象の方法としては違うのだが、現状ではどう違うのかを言い表す方法がない(図1)。表象された内容と物語世界の内容を区別することができれば違いを説明できる(図2、図3)。

図1:物語言説と物語内容の時間による説明
図2:3層モデルによるスローモーションの説明
図3:3層モデルによるディオの時間停止の説明

2. 発表についての反省点

 ここからは反省会。
 発表会の時は発表するだけで手一杯で質問にまともに返答することができなかった。

  1.  スライド(p. 26, p. 27)の説明が良くなかった。指摘されたように、映画で物語言説の時間と物語内容の時間が「常に」ある種の対応を持っているというのは強すぎる主張だが、ディオの時間停止という反例を既に取り上げている以上、そのように読まれるとは思っていなかった*2。p. 27の図も「物語言説と物語内容の時間が一致している場合、物語言説の時間=物語内容の時間となる」という話で、時間の操作があった場合のケースについてもそうだとは言っていない*3。とはいえ、想定が甘いのは間違いない。
     今訂正するならこんな感じになると思う。「①映画において提示された空間と物語言説の時間は対応関係を持っていて、提示された空間の時間は物語言説の時間から特定可能である。②通常、提示された空間の時間と物語内容の時間は一致しているため、結果的に物語言説の時間から物語内容の時間が特定可能である」。
  2.  「~はどうですか」という質問に対して、少々素っ気ないが「本研究では扱っていません」という返答をすべきだった。「提案理論で説明できるかできないのか」を返答にしてしまったため、その後の議論がもつれてしまった*4。発表の場では、「説明できない」と答えてしまったが、たぶん本来すべき返答は違ったと思う*5*6
  3. わからない or 知らない or 聞き逃したことについては、「もう少し考えればわかるかもしれない」とか考えずにさっさと聞き返すべきだった。とはいえ、頭が全く回っていなかったので、聞き返したところで意味ない気がするけど。

3. 質問についての返答

 それで、もう手遅れだが答えられなかった質問(覚えている範囲で)について改めてここで答えようと思う*7

ディオの時間停止のシーンにも時間の操作はあるのでは?

 覚えている限りでは、いただいた指摘はディオの時間停止のシーンにおいてもシーンの切り替わり(アングルの切り替わりなど)が含まれるため、「時間の操作はない」とは言えないのではないだろうかということだった。
 これに関しては、必ずしもシーンの切り替わり=カットとなるわけではなく、シーンの切り替わりが時間の操作に該当するかは鑑賞者の解釈の実践によるだろう。少なくとも僕はシーンの切り替わりで時間が省略されていたり、同じ時点が繰り返されているとは解釈しなかった*8
 また、時間の非整合性でポイントなのは映像表現が表す時間と物語内容の時間がズレていることで、時間の操作があることと時間の非整合性が起きていることは両立しうる。ディオの時間停止のケースで時間の操作が全くないとは言えないかもしれない(そういう解釈の実践があるかもしれない)が、そうだとしても時間の非整合性が起きていることには変わりがないと思う*9。ディオの時間停止を事例に挙げたのもそうした時間の操作の差分を考慮したとしても、明らかにズレているからだ。

映画に見られる時間の経過を間接的に示すシーンはどう説明するのか

 実際の質問では具体的な作品を挙げた上で「このような表現はどうなのですか」と聞かれたが、事例の方は全く覚えていない...。ただ、指摘された事例を抽象化するならこのようになると思う。
 僕がこの話で思いつくのは、シーモア・チャットマン(チャットマン 2021, 80–84)による要約法(物語言説の時間<物語内容の時間)の議論くらいなのでこれを元に話を進める。チャットマンは要約法の具体例として、『市民ケーン』のニュース映画や『恐怖の報酬』の新来者と住民との会話を挙げている。ここでは(さきほど僕が試聴した)『市民ケーン』を具体例にして考える。
 市民ケーンの冒頭ではニュース映画(の試作品)が上映され、そこでケーンの人生のあらすじが提示される。チャットマンはこれを優れた要約法の一例として挙げているが、このシーンで直接表象されている物語内容はニュース映画の映像であって、ケーンの人生そのものではないだろう。ケーンの人生という物語内容は別の物語内容(ニュース映画)から推測することで導き出されるものであるはずだ(図4)*10
 そのため、要約法の説明も多少修正が必要になると思う。『市民ケーン』のニュース映画のシーンの場合、物語言説は物語内容①「ニュース映画の映像」を表象していて、①によって鑑賞者は物語内容②「ケーンの人生」を推測することができる。物語言説が②を表象していると言えるのかはわからないが、仮に言えるとしたら、次のような説明ができるだろう(図5)。物語言説と物語内容①の関係は情景法(物語言説の時間=物語内容の時間)となるが、物語言説と物語内容②の関係は要約法(物語原説の時間<物語内容の時間)となる*11
 物語内容の時間に関する内容で特に非整合が起きていない以上、提案モデルで説明する必要はないだろう *12

図4:ニュース映画とケーンの人生の関係
図5:物語論による『市民ケーン』の時間の説明

時間の非整合性の事例は他にもあるのか

 時間の非整合性は他のアニメーションで見られるものなのか(ディオの時間停止のみなのか)という質問があった。時間の非整合性がディオの時間停止以外にもあるのかについては発表でも触れる予定だったが、時間の都合で省いてしまった。発表で行う予定だった事例の説明はこんな感じ*13
 時間の非整合性はディオの時間停止だけでなく、他のアニメーションにおいても広く見られる。例えば、スポーツアニメの「あと5分」とかは大抵明らかに5分ではない。ここまでで挙げた例は、時間の長さが「〇〇秒」と具体的に明示されることにより映像表現が表す時間と非整合を起こすケースだが、時間の長さが明示されなくても非整合を起こすケースも考えられる。例えば、バスケ漫画SLAM DUNK』の作者である井上雄彦は、別の作品『リアル』の作中でバスケアニメ(おそらく『SLAM DUNK』のテレビアニメ)のドリブルに関してあるツッコミを入れている*14。「へっ そんな広いコートがあるかよ どこまでいくんだよ」(井上 2002, 39)。これはドリブルのシーンが長すぎて、通常より広いコートを想定しないと整合性が保てないということだと思われるが、おそらく作中のコートは通常の広さだろうし、ドリブルもそれほど長く続けていないだろう。この種の非整合性も含めると時間の非整合性は多くのアニメーションで見られると思う。

自然さ・主観的な時間も考慮すべきでは

 発表で扱っているのはあくまで解釈の問題であり、それが自然に見えるか否かや、時間の長さをどう感じるかと言った話はしていない*15。なので、返答としては「扱っていません」ということになるが、全く無関係というわけではないと思う。スライド(p. 28)ではマンガの場合、物語内容の時間の長さが曖昧になるが故に、時間に関する内容で非整合が起きたとしても目立たないという主張をしているが、この「目立たなさ」には物語内容の自然さや鑑賞者が物語内容の時間の長さをどう感じるのかが関わっているかもしれない。

4. その他想定していた質問・補足について

マンガの時間に関しては先行研究がいくつかあるけど、それとの関係をどう考えるのか

 時間の都合上、マンガにおける時間についての議論をかなり雑に済ませてしまったので、主にマンガ研究者から追及が来るかもと思ってたけど、全然来なかった。
 マンガ研究で時間について取り扱った研究がそれなりにあることはある程度把握しているつもりで、その上で「物語言説の時間から物語内容の時間は特定できない」という結論を出している*16
 参考までに僕が確認した文献をここに挙げておく。

 

帰省中で文献が手元にないので省略(後日追加します)

 

物語言説の時間と物語内容の時間(の一部)が対応関係を持っているのは何で?

 「物語言説の時間が実時間であるとしても、それによって物語言説の時間と物語内容の時間(の一部)が対応関係を持つことにはならないのでは。他に何らかの理由があるのでは」という質問が来るのではと思った。これに関しては最終的には「そういう慣習があるから」と答えるほかないと思う*17
 記録映像など現実で起きた出来事を写した映像の場合*18、間違いなく物語言説の時間と物語内容の時間は対応関係を持っていると言えるだろう。例えば、あなたが子供の運動会を10時から11時まで撮影したあと、映像を等速で流して確認したら10分しか映像が流れなかった場合、あなたは録画が途中で止まってしまったと思い、最初から最後まで録画できているとは考えないはずだ*19
 映画も現実の映像と同じ見られ方をしていると仮定した場合、映画も現実の映像と同様に対応関係を持っていると言えるかもしれない。

定義上、提示された空間の時間にはディオの発言が示す5秒間も含まれるのでは?

 これは指導教官にも指摘された。提示された空間はフィクションが表象する内容全体の集合からなるため、提示された空間の時間にディオの発言が示す5秒間が含まれるはずではないのかというのは当然の指摘だと思う。
 これについては、「映像が表象しているのはあくまでディオの発言であって、ディオの発言内容ではない」という返答をすることになると思う。つまり、提示された空間の内容は「ディオは『時間停止の時間は5秒間』と言った」だけであり、「時間停止の時間は5秒間」は提示された空間の内容にはならない。「時間停止の時間は5秒間」は、鑑賞者が映像表現が表す時間(90秒)やディオの発言、その他の提示された空間の内容を総合的に判断することではじめて物語世界の内容として導き出されるのだろう(図6)。
 ただ、この説明ではナレーションや字幕により「5秒間」が示されるケースを説明するのは難しいと思う*20。この場合は2種類の時間の長さに関する内容が提示された空間に属していて、そこから物語世界の時間が同定されるという説明になると思う。

図6:ディオの発言とディオの発言内容の関係

ディオの時間停止を挙げた理由は?なんでアニメーションを取り上げたの?

 ディオの時間停止を挙げた理由は(僕の知っている中で)一番わかりやすいし、比較短時間で事例を紹介できるから。あと、ディオが時間停止について詳細に説明してくれるから。
 アニメーションを取り上げたのは時間の非整合性がよく見られるメディアの中でも説明が比較的簡単だから。
 時間の非整合性がおそらくアニメーション以上によく見られるメディアとしてビデオゲームが挙げられる。イェスパー・ユール(ユール 2016, 186–190)の「へんてこな時間」をはじめとした多くの研究者がビデオゲームで見られる時間に関する内容の非整合性をいくつか指摘している。
 ただ、ビデオゲームの場合は事例がアニメーションの場合より複雑になり、さらなる説明が必要になるかもしれない。例えば、『ゼノブレイド3』では、ゲームの冒頭で主人公の一人のミオがおよそ3ヶ月で死ぬことが明らかになるが、実際のゲームプレイで90日以上経過してもミオは死ぬことはない(図7)*21*22。『ゼノブレイド3』ではプレイ時間24分で1日が経過するシステムになっているが、このプレイ時間の経過で90日以上経過してもミオは死なないのだ*23。この場合、「プレイ時間によって経過するこの1日は物語内容の時間としてカウントされない別の種類の時間である」などの説明が必要かもしれない(図8)。

図7:『ゼノブレイド3』におけるミオの寿命に関する矛盾
図8:3層モデルによる『ゼノブレイド3』の時間の説明

参考文献

 

*1:その結果時間の非整合性が起きるということ。

*2:スライドp. 14のように「物語内容の時間の1つがそのように特定される」と読まれることを想定していた。今までの議論を踏まえるとそれでもおかしいけど。

*3:時間の操作がなされる場合は、その差分を鑑みた上で特定されるのだろうが、両者の時間が同じケースと比べると幾分曖昧にはなると思う。

*4:正直扱っていない事例について今説明できるか否かを即答するのは無理があると思う。なので、「今すぐには結論が出せない」という返答をすべきだった。

*5:この後「説明できない部分がある=>理論が破綻している」と別の質問者から批判が来たが、そもそも扱っていない以上説明できないことが理論の破綻を意味するわけではない。その時、ちゃんと返答すればよかったのだが、いきなり強い語調で糾弾されパニックになってできなかった。その人の発言の中では物語言説や物語内容の理解に変な点があったし、何をどう整理したらいいのかわからなかった。

*6:おそらくその場でできる最良の返答は「その事例は本発表では扱っていないし、時間の非整合性が起きているわけではないので、物語論の枠組みで十分説明可能である(提案モデルで説明する必要がない)」という感じになると思う。

*7:たぶん質問してくださった当人にはこの返答は届かないだろうけど、それでも返答がないよりはあったほうがマシだと思う。

*8:この解釈を他の人がするのか示すのは難しいが、YouTubeニコニコ動画でディオの時間停止を編集で無理矢理5秒にした動画は結構ある。参考1:https://www.nicovideo.jp/watch/sm26552907 参考2:https://www.nicovideo.jp/watch/sm26440915

*9:ディオの時間停止のシーンの場合、ディオが異なるセリフを喋っている時間だけでも5秒は優に超える。同じ時点を何度も繰り返していると解釈したとしても、喋っているシーンは繰り返していると解釈できないので、結局映像時間が表す時間の長さが5秒であるという解釈をとるのは無理があると思う。

*10:ここでのケーンの人生は等質物語世界的なメタ物語世界の出来事ということになる。

*11:この説明も微妙な気がするけど。

*12:発表で実際に聞かれていたのは、ある物語内容を別の物語内容を用いて表現するケースではなく、ある種の演出や象徴的な表現により時間の経過を表すケースだったような気がするが、この場合でも物語内容について非整合は特に起きていないので、物語論の枠組みで十分説明可能だろう。

*13:ここでは時間があるので、発表予定だったものより多少詳しく説明している。

*14:テレビアニメ『SLAM DUNK』における時間の非整合性についてはネット上で他にもいくつか指摘がある。参考1:https://dic.nicovideo.jp/a/slam%20dunk 参考2:https://type-r.hatenablog.com/entry/20221217/the-first-slamdunk

*15:自然に見える or 見えないという話は、表現のレベルと内容のレベルに分けて考える必要がある。例えば、最近母が『千と千尋の神隠し』の演劇で「黒子が千尋を持ち上げていたり、鎌爺の腕を動かしているのが不自然だった」という話をしていたが、これは演劇における表現が不自然に見えるという話で、不自然な内容が作中世界で成り立っているという話ではないだろう。主観的な時間もそれが何を指しているのかをもう少し詳細に特定する必要があると思う。

*16:もちろんマンガにおいてコマの大きさやコマの連続、あるいはコマとコマの間の余白の大きさが物語内容の時間の長さを表していることはあると思うが、映画の場合のように厳密なものではなく、かなり曖昧さを含んでいるだろう。

*17:例えば、小説でも「1文字で1秒経過」みたいな慣習があったら、物語言説の時間から物語内容の時間は特定可能ということになる。

*18:正確には「かつ映像がその撮影対象を写したものとして提示される場合」といった条件が続くだろう。現実で起きた出来事を写すだけなら多くのフィクション映画や事件の再現映像なんかも含まれることになる。

*19:この例えはわかりにくくて微妙かもしれない。

*20:ナレーションと登場人物の発言を区別できるのかという問題もある。信頼できない語り手の場合はさらに説明が難しくなる。

*21:ミオのイラストはいらなかった...。

*22:これは「ミオは3ヶ月で死ぬ」が偽であったという話ではない。作中の他の描写から考えるに「ミオは3ヶ月で死ぬ」は真であるはず。

*23:簡単のため30分で1日経過すると仮定すると、だいたい45時間でミオは死ぬことになる。『ゼノブレイド3』の平均プレイ時間を考慮すると、おそらくかなり多くのプレイヤーがプレイ中にミオを死なせていることになる。