フィクションを哲学する

くだらなくてもいいじゃない。

『ストーリーとディスコース』第三章「ストーリー—存在物」 中盤 (~p.151)メモ

(こっちはガチで自分用のメモとして使用するので、読んでも内容がわからない可能性があります。)

3.3 ストーリー上の存在物——登場人物

  • 登場人物とは何かについて議論されてこなかった(せいぜい作品の中で描かれた人物くらいの説明しかない)。

3.4 アリストテレスの性格理論

  • アリストテレス曰く、
    • 行為第一、性格は二の次。
    • 行為によって、性格が決定される。
    • 性格は分類しようとすれば、できる。
  • まあ、今の物語理論にはあってないよね。

3.5 フォルマリストと構造主義者の登場人物観

  • フォルマリストと(何人かの)構造主義者の立場はアリストテレスと似ている。
  • 登場人物はプロットの所産であって、その地位は「機能的な」もの。つまり、<人物>というより、むしろ参与者あるいは<行為項>であり、現実の存在ではない*1
  • ここで彼らが強調しているのは、登場人物の心理学的要素*2ではなく、登場人物が物語の中で何を行うかを分析すべきであるということ。
  • フランスのナラトロジストも概ね同じ立場。
  • ただ、現代的な登場人物は、これまで分析の対象とされてきた物語の登場人物とはかなり異なる*3。おそらくこれは、社会の好みの変化であり、一つの慣習である。

3.5 トドロフとバルトの登場人物論

  • 構造主義者の中にも、登場人物を機能をみなさない考え方をしているものもいる。
  • トドロフはプロット中心(非心理的)物語と、登場人物中心(心理的)物語を区別している。
    • 心理的物語では物語の主語の方に焦点が置かれるが、非心理的物語では述語の方に焦点が置かれる*4
    • 心理的な物語において、登場人物の特性は結果として生じる行為とほとんど融合してしまっている(ある特性が言及されたら直ちに結果が生じなければならない)*5
  • 心理的な物語だけがある特性をさまざまな方法で表現できる*6
  • ロラン・バルトも登場人物を機能と見なす考えから心理的な見方へ変化した。
    • 『S/Z』の時点で、登場人物は行員い従属するものとはみなされていない*7
    • 心理的本質」では、登場人物は(特性が)合成されてできたものと考えている*8

3.6 登場人物は開かれた構造物か、あるいは閉じられた構造物か

  • ディスコースによって語られないことについて問いかけるのは無意味なのか?
  • 私は登場人物について推論することを抑制するのはよくないと思う。
  • しかし、O・B・ハーディソンは(小説の場合)登場人物は言葉としてのみ存在して、彼らを人格を持った意思のある存在とみなすのは誤りだという。
  • でも、やはり私は違うと思う。伝記に書かれた人物が書かれた以上の内容を推論・考察することができるように、登場人物もまた開かれた構造物であるべきだ*9

3.7 開かれた登場人物理論に向けて

  • 登場人物についての理論が存続可能であるためには、それが解放性を保ち、かつ登場人物を自律的な存在として扱うことが必要である。
  • 登場人物は読者によって再構築されるものだと論じるべきである。
  • で、再構築されるのは何か。
    • 私たちは何となく価値のある推論は何か知っている。
  • 登場人物はどのような人間であるのか。
  • 辞書を引くといい感じの言葉が見つかった。
    • <全体性>:理論上の構造物であって決して到達できないが、我々はそこに向かっていく。組織化されているのか目的論的な集合なのか不明。
    • <特性>:「ある個人型者と異なるということ区別できる比較的持続的な癖」。習慣が特性を示している。ある程度一貫性があるが、矛盾するものも含まれる。
    • <独自性>:さまざまな自己の間で相互の区別をはっきりさせるもの。
  • 特性には名前がつけられ、文化的にコード化されている。
    • これらの日常言語による名称は、学者が新しく作るよりもっともらしく思える。
  • 特性は物語上の形容詞として定義することができる。特性はテクストに明示されなくても読者がテクストから推論することができる。

 

 

 

*1:行為項という表現はビデオゲームの論文でもよく出てくる。登場人物がどいういう存在かはフィクションの哲学で議論があるが、覚えていない。

*2:おそらく内面(心)や思考などを指している。

*3:例えば、プロップの分析したロシアの昔話は機能(ここで機能の説明はしないのでググれ)の点でほぼ同じ構造を持ち、それ以外の要素(人格など)は交換可能であるかのように扱われていたが、現代の物語ではそうはいかないということだと思う。

*4:この焦点とは重点的に描かれるという意味の他に、読者の受容において快楽の源になるという意味もあると思われる。

*5:この登場人物の特性が直接行為と結びついてしまうという部分が、マンガ研究のキャラの概念に近いと思った(正確には森下さんの『ストーリー・マンガとは何か』のキャラの説明に近い。あの本では確か手塚の『罪と罰』で主人公が斧を振るう理由をキャラの特性(主人公は斧を持ったキャラである)と結びつけて説明している)。

*6:心理的物語の場合、登場人物にある意味で選択肢が与えられているが、非心理的な物語ではそのような選択肢はなく、本人の特性と結びついた特定の行動しかできないということだと思う。

*7:意義素のコードによって表されるとあるので、何らかの分類は行っていた?

*8:特性はある程度の一貫性と矛盾があり、その度合いが人格を決定するとある。

*9:多分要約するとこうなると思う。