フィクションを哲学する

くだらなくてもいいじゃない。

美学会どうするのか問題

はじめに

 先日美学会に参加したのだがそこで「美学会をもっと良くしようフォーラム」あった*1。単に若手研究者の意見を集めたいだけなのかと思ったら、途中から美学会の存続自体が結構危うくてどうしたらいいかみたいな話になっていた...。
 会議では手を挙げなかったが、後から意見しとけばよかったと思ったので遅ればせながらここに書いておく。

 

さめまくらの意見

 学会運営に全く詳しくないので的外れな意見が多いかもしれないが、まあ許してほしい。あと、僕個人は美学会に2回しか参加してなく、美学会が持つ空気感を理解できていないので、保守的な立場を取らないと思います。

ポピュラーカルチャー枠を作れ

 これは単なる要望。とはいえ、結構美学会の問題に直結していると思う。
 僕は去年映画研究の枠で発表をしたが、なんというか...場違い感がすごかった(詳細はこちらhttps://kusoani-ken.hatenablog.com/entry/2023/10/20/114017)。発表の内容は、ある種の時間のずれが映像表現に見られ、それがスローモションやカットなどで説明できないので新しい枠組みを作って説明するといったものだが、そこで考察の対象としたのはアニメーションやマンガだった。正直、発表しててあの空気は辛かったし、僕と参加者の間で会話がいまいち噛み合っていない感じがあった。現状美学会でポピュラーカルチャーを題材に発表するのはきついものがあると思う。ポピュラーカルチャーについて議論する専用の枠を作ればそうしたアウェー感はだいぶ軽減されるし、潜在的な需要を満たすことも期待できる。
 ポピュラーカルチャーといっても様々なジャンル・実践があるので、結局発表者と参加者の理解の溝は埋まらないかもしれないが、ポピュラーカルチャー研究なんてそんなものなので、枠があるだけありがたいと思う*2

コミュニケーションのコストを下げろ

 会議の後半は学会員をいかにしてコミュニティに包摂するかという話にシフトしていった印象があるが、コミュニティに接触する機会が単純に少ないように思う(僕の認識が違ったら申し訳ない)。全国大会以外では東部会・西部会でそれぞれ発表会があるものの、自分と関連するテーマでないとなかなか足を運ばないと思う(少なくとも僕はそう)。この状態だと若手研究者に美学会を単に研究発表・実績作りの場ではなく、コミュニティとして認識してもらうのは難しいと思う。単純にコミュニティとの接触機会が不足している。
 とはいっても、もちろん例会や発表会をこれ以上増やせというのも無理な話だろう。そもそもそんなにたくさん開かれても物理的に通える人なかなかいないだろうし...。個人的には、オンラインでも非同期でもいいからとにかくコストの低いコミュニケーション手段を確保して緩い繋がりを維持すべきだと思っている。単に美学会員専用のDiscordサーバーを立てるだけでもだいぶ変わると思う*3

フリーライダー問題は地獄

 会議で「フリーライダー問題」を指摘する声があった。自治寮で同様の問題を経験している自分の視点から言わせてもらうとこの問題はかなり慎重に議論しないといけない。最終的に組織が空洞化する。

  • フリーライダーを批判する時、批判する側は何を組織の貢献とみなすかが恣意的になりがちであることに注意しないといけない。相手を納得させられないと結局それは組織の分断につながる。
  • フリーラーダーの解決策として、貢献者に対価を渡すことが提案されるかもしれないが、これの採用は絶対やめた方がいい。組織への貢献が義務から労働にシフトすることで、フリーライダーにフリーライドする大義名分を与えてしまう。問題の根本的な解決にはつながらない。
  • フリーライダーを排除しようとする動きは、フリーライダーが組織から離れいくだけで、マイナスにしかならない(自分を非難するような人たちと関わりたくないですよね)。フリーライダーを攻撃するのではなく、いかにしてコミュニティに包摂し、その中で役割を与えるかを考えた方がたぶんうまくいく。

コストの形態を分散せよ

 僕の住んでいる熊野寮はものすごく格安で住めるが、その理由の一つとして事務などの労働を寮生が負担しているというのがある。もうやっているかもしれないが、コストの形態を分散させることで金銭的負担を減らせるかもしれない。
 つまり、「お金がないなら働け」ということだが、単に働けだとうまくいかないだろう。重要なのは運営の一部を若手研究者に委ねる(自主性を尊重する)ことである。詳しくはKyotoScienceさんの記事*4を参考にしてほしいのだが、実例を挙げると少なくとも熊野寮ではこのやり方で一定以上の成功を収めている。熊野寮では年に数度何らかのお祭りが開かれるが、そこでの運営・企画は基本的に新入生に任される(上級生は補佐する)。祭りが単にやらさせる仕事から主体性を発揮する場に変化する意味は大きい。祭りの運営に参加した寮生は寮の運営にも残りやすい印象がある。
 このようにして、うまく運営に若手研究者を組み込むことができれば、コミュニティに帰属してくれるし、コストは分散できるしで一石二鳥になることが期待できる。

社会人の会員を増やせ

 残念ながら現状日本において学術で食べていくのは厳しいと言わざるを得ない。日本の政治を変えるという選択肢を取らない(取れない)のであれば、会員になる層を拡大する以外に会員を増やす手段はないと思う。現実的に金銭を払える層を考えると、おそらく社会人がメインターゲットになると思う*5
 それで、美学って社会人に需要あるのかという問題があるわけだが、自分の感覚では少なくともゲーム開発者の方は結構美学的な関心を持っている印象がある。潜在的な需要という観点で考えると、単純に数が多いポピュラーカルチャーの作り手や消費者が一番可能性が高いと思う(なので、ポピュラーカルチャー枠があった方がいいんじゃないという話に...)。

 

*1:これ:https://bigaku.notion.site/11c4a2efb10580a2a38deb0219c531e1?pvs=4

*2:そもそもポピュラーカルチャーの研究者が今後教員としてやっていくにはある程度幅広い研究対象・アプローチに対応できないときついものがあると思う。色んな意味で広い視野や文脈を持つ機会を持った方がいいし、学会がそれを提供できれば学会に参加する意義につながると思う。

*3:とはいえ、あまりお堅い感じになると意味ないけど...。

*4:これ:https://senmanben.com/20231112/5707/

*5:もちろん構成員の層の変化が美学会に与える影響は大きくないだろう。それを許容するかどうかについてはわからない。